僕が面白いと思った歴史小説「島津奔る」です。

歴史小説好きならこの本はほぼ確実に読んでいると思われます。
僕が最も好きな時代が戦国です。
・・・一応言っておきますが、巷で戦国ブームとか歴女とか、日本史がもてはやされる前から趣味でしたので、そこんところ誤解のないように。(笑)


兄・島津義久の小説も読みました。

この本も相当面白かったですが、「島津奔る」はさらに上をいってました。

「島津奔る」の主人公は、弟・島津義弘です。

秀吉の命で朝鮮出兵中の島津軍と朝鮮明軍の戦闘シーンから始まりますが、その陣頭指揮をしていたのが島津義弘。

世にいう「泗川の戦い」である。島津軍7千に対して明軍20万の兵力差にもかかわらず、義弘の見事な采配で勝利をした。

勝利の要因は薩摩特有の戦法「釣り野伏せ」であろう。

これはわざと敗走し、さらに敵を追撃させるため追いかけさせ、あらかじめ設定した場所まで誘い込み、そこに伏せていた薩摩の兵士たちがドワッと襲い掛かって敵を殲滅する戦法だ。

島津家はこの戦法で明だけでなく、国内でも多くの武将の首を獲っている無敵に近い戦法だ。

朝鮮出兵が終えた後の徳川家康と石田三成の争いでは、兄・義久は中立の立場をとりながらも、義弘は徳川方に付きたいと思う。しかし結果的には三成方に加担するはめになってしまう。

三成方として戦うと腹をくくった義弘は、今の僅かな兵力では少なすぎるので本国薩摩に兵の要請を打診する。が、兄・義久は変わらず中立主義であり、義弘との関係も悪くなっていたため思うようにいかない。

しかし、本国にいる家臣の計らいによって志願兵をつのった。

当時の薩摩は兵農一致制(普段は農民、戦になれば兵士)

彼らは主命ではなく、自らの意思で自分の生活を投げて殿様のために個々に上方へと走る。一刻も上方へ。どんどん義弘の元へ集結していく。ぎりぎりまで待った義弘はついに千以上の兵力を得て関ヶ原の戦いへ参戦する。

三成方として戦ったが、徳川方が優勢になったときには兵力八百に落ちていた。

天下分け目の勝負はついた。あとはいかに生きて本国薩摩へ逃げるか。

まずはこの東軍一色になってしまった関ヶ原をどうやって抜けるか。それも兵士を損なわずに。

そこで義弘は大胆な方法をとる。堂々と徳川本陣の前を突っ切る。死兵と化した兵士たちが家康に襲い掛かる。

・・・からくも関ヶ原を抜けた義弘一向は、落ち武者狩りをかわしながら、道なき道を駆け抜けてボロボロになりながらも本国に帰ることに成功するのである。

意外と長くなってしまったがあらすじとしてはこんなところか。

戦国時代では島津は徳川に敗れた形になったが、幕末では島津家から西郷隆盛、大久保利通を輩出し徳川幕府を倒すので、この両家は何か因縁めいたものがありますね。

義弘の三成への加担説はいろいろ言われている。本当は、義弘は三成に恩があったので進んで西軍に加担したというのが有力説だ。

歴史小説は必ずしも史実に沿っている必要はないけど、こういう本を読むと史実も気になっちゃいますよね。

そしてどんどん知りたい事が生まれて派生し、いつの間にか多くの情報を得ていた経験が多々あります。

僕は高校の授業では世界史を習うクラスを選んでいたので、逆に日本史はあまり知らなかったです。

なので、知らなかっただけに興味も人一倍だったのかもしれませんね。普通に教科書で習っていたら歴史小説が教科書に見えて興味を持たなかったかもしれません。

10年以上前になりますが、歴史小説で全国制覇してやろうと思ったことがあります。

要するに、沖縄と北海道を除いた日本中の戦国武将を題材にした歴史小説を全て読む計画を行ったことがあります。

鹿児島から順番に読みましたので、鹿児島の戦国武将といえば島津。トップバッターは島津義久と義弘の兄弟だったので、「島津奔る」からこの計画をスタートしましたが、思いのほか面白かったので出だし好調でした。

鹿児島からスタートし、九州、四国、中国、近畿、中部と制覇していきましたが、山梨で読みつかれたというか、飽きたというか、活字を読むのが嫌になってきたのであります。(汗)

立て続けに読み続けると疲れも大きかった。

全国制覇は途中で止まったままですが、死ぬまでには達成したいところです。