2007年2月
ようやく血液細胞内科の病室へ引っ越すことができた。
1回目の抗がん剤とその事前検査のために。
ただし、抗がん剤投与は2~3週間後だ。
なぜそんなに間が空くのか理由は忘れてしまった。(ぼやぼやしてるとステージが進んで末期がんになるのでは?と不安ではあった)
ま、病院がそう言うんなら従うまでだが。
今回は事前検査のため1泊2日入院して、一時帰宅という形で抗がん剤の日まで普段通りの生活をする予定だ。
血液細胞内科の病室だが、特にこれといって特筆するものはない。
またも4人部屋だが、既に3人の方が入院されてた。
ちゃんと挨拶する間もなく、荷物を置いたらすぐにいろんな検査のために部屋を出て行かねばならない。
僕が一番印象に残った検査は骨髄検査だ。
うつ伏せになり、O先生が僕の腰のところにドリルをあててゴリゴリと音がし出した。
なんだかムズムズした感じがするが、うつ伏せゆえにその状況を見ることは不可能だ。
無論、麻酔のおかげで痛みは無い。でなければ生き地獄であろう。
しかし、このゴリゴリとする音がなんとも気色悪い。
骨に穴を開ける音なんだろうが、生きている人間の骨をドリルで穴を開けるなんて・・・想像するだけでコエー。(=_=;)
骨髄液と骨髄組織を取って検査し、ここまで影響がないかを調べるためだ。
もし骨髄までイカれていたら更に深刻な事態だが、幸いにも問題は無かった。
一通りの検査が終わり部屋へ戻った。
ようやく落ち着いて挨拶ができるかと思いきや、誰もいない。。。
寝たきりの老人ではないので、誰もが何かの検査やら、ちょっと散歩やら来客やらで部屋を空ける機会が様々なのだ。
逆に全員がちゃんと揃うのは就寝時間と早朝ぐらいではないだろうか。
その日はカミさんが付いていてくれたが、夜、面会時間を過ぎて帰った後、ようやく同部屋の先輩達が全員揃ったのでちゃんと挨拶することができた。
それぞれ年齢は21歳、49歳、32歳だった。
皆、僕と同じような血液のがんを患っている人たちだ。
21歳の青年は大学生だ。治療のため休学中との事。
・・・この若さでなんて不憫な。
正確な病名までは覚えていないが、白血病だったと思う。
一時良くなって退院して復学したが、容体が悪くなったので再び、を繰り返しているそうだ。
49歳のKさんは骨髄性多発種。
10年前に発症して一度は寛かいして元の生活に戻れたが、最近再発して入院されたらしい。
Kさんとはこの中で一番会話した仲である。
ネット関連のお仕事をされてるらしいが、見た目通り仕事が出来そうな、それでいて優しい人だ。
32歳の人は僕とほぼ同年齢のアメリカ人だ。Jさんという。
日本の生活が長いせいか、日本語はペラペラである。
Jさんは後にも先にも、この時の挨拶ぐらいしかしていなので詳細は分からないが、
後にKさんから聞くと、何年も前から闘病生活を送っているとの事。
とまあ、同じ病室仲間の紹介は余談ではあったが、この人たちを見て僕なりに学んだ事がある。
おそらくこの先の全人生を含めても5指に入るほどの教訓であろう。
僕なんか比較にならないぐらい壮絶な人生を歩んでいる人が目の前に3人もいる。
無論、この科の患者は他の病室にもたくさんいるわけで、もっと重症な患者もいるだろう。
この血液細胞内科という箱の中に入って直接周りを見る、という事に大きな意味を感じた。
正直なところ、がんを宣告された後、なんで俺だけ、という気持ちが付きまとっていた。
しかし、彼らを見ていると「自分はまだ恵まれている」と思えてきた。
無論、心の中だけにしまっている。
24時間テレビで、がん患者にスポットをあてたその人と家族の苦労や悲劇の現状を観たことあるが、全く縁の無い人のそれを見てもどこかリアリティに欠けるところがあったし、その時の自分は健康であるがゆえに他人事でもあった。
現実に自分がその立場になり、更にもっと厳しい現実の人たちとこうして直接コミュニケーションをとると考え方がガラリと変わる。
自分が逆境の中でこそ「自分はまだ恵まれている方だ」という気持ちを持てと、神様からそういう機会を与えられ教わった気がした。
綺麗事だとは思うが、今の自分の支えとなった。
翌日、一時帰宅という形で我が家に帰った。
しばらくは普段通りの生活を送るが、会社には今後の自分の生活の流れを話しておかなければならない。
親族にもだ。
保険会社にも言って、入院費と手術費をもらう手続きもせねばならない。
この間の生活はカミさんも大分気を使ってくれていた。
この先の生活はどんなのか予想がつかないが、別にどうという事もない。
僕の精神は安定している状態かな。
と思いきや、入院3日前の夜、1人で寝ていると猛烈な恐怖感に襲われた。
死への恐怖である。
なぜかは分からない。何がきっかけでそうなったかも分からない。
精神的に安定していたのでその反動かもしれない。
とにかく、唐突に、である。
がんで死ぬかもしれない。
死んだらどうなるのか。
死後の世界は存在するのか。
死んだら親父とお袋に会ってしまうのか?
死への恐怖で体が震えてきた。
事実、がんにむしばまれているので、その先にあるリアルな死をイメージしてしまった。
その辺の老若男女が冗談めいて、俺もう死ぬ、とか、殺される、とか笑顔で軽々しくほざいている連中に思い知らせてやりたいぐらい、死に対してリアルに悩んでしまった。
この「がん」という、どうしようもない現実は避けようがないので笑えない。
この悪性リンパ腫になる確率は1/20000人だと何かで見た。
そんな確率で起こる病気を本当に治せるのか?という疑問もある。
ワシが死んだらカミさんは30歳の未亡人か。。。若い未亡人だ。
結婚4年目にしてそれはちょっと不憫というか、なんか申し訳ない気持ちにもなる。
しかし当時は子供を授かってなかったので、それだけは不幸中の幸いだ。
でも一応、遺書は書くべきなんだろうか? 遺産は無いのでただの手紙か・・・不要だな。
とまあ、いろんな想像が飛び交いつつも、カミさんには心配かけたくないので言わずに胸の内にしまった。
不安を抱えながらも抗がん剤に一縷の希望をかけるしかない。
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