2007年2月下旬
火曜日、ついに1回目の抗がん剤投与の日がやってきた。
事前に先週の木、金、土にノイアップ注は打ってある。
カミさんと朝10時に再び病室へ。
投与の時間は14時ごろとの事。
特に緊張もしていないし、副作用の不安もない。
ただ、抗がん剤で本当に治るのか?という疑問は持ったままだ。
とりあえず、O先生の診察室へカミさんと一緒に行った。
大した診察は無いが、心のケアをしてくれた。
「この病気は抗がん剤で絶対治る。その若さと体格なら抗がん剤に耐えれる」
この言葉は僕に希望の光を与えてくれた。
若さはもちろんだが、体格も大きければそれなりに抵抗力も強いのだろう。
といっても、僕は太くも細くもなく普通体型ではあるが。
なんにせよ、医者から絶対という発言を得られたのは心強い。
しかもなぜだかこのO先生の言葉には強い自信と力みたいなものを感じる。
僕は催眠術にでもかかったかのように治る病気だと信じた。
抗がん剤も日々進化しているらしい。
僕の両親は大昔にがんで死んだ。
父親は僕が14歳の時にすい臓がんで、母親は僕が21歳の時に乳がんで他界。
父親の治療方法はよく知らないが、母親は抗がん剤を受けていたのを覚えている。
病室へ見舞いに行く度に、足が痛いとかいってよく揉んでやったのを覚えている。
当然、その頃の抗がん剤と今の抗がん剤では同じ薬でも精度が違うだろう。
がんになるなら1日でも遅い方が良いということだ。
診察というより心のケアだった。
ちなみに、抗がん剤を打つと体内の白血球数が減少する。そのため、病原菌に対する抵抗力が弱くなるらしい。
なので食生活は禁酒。刺身など生肉は避けるように言われた。
正直これはキツい!僕の3大好物のうち2つも禁止になってもうたからだ。(ノ´Д`)
ちなみにもう1つの大好物は肉です。特に牛。
焼いてあればいいけど、それでもほどほどにとの事。
インスタントラーメンの類もほどほどにとの事。
抗がん剤が終わるまでの6ヶ月は食生活も忍耐だ。
抗がん剤投与の前には採血も行うみたいだ。
病室へ戻るとKさんがいた。
そしてKさんからちょっとした「へぇ~」を聞いた。
O先生は最近、アメリカの病院からヘッドハンティングでこのがんセンターへ就いたらしい。
ということは、かなり優れた医者だ。英語もペラペラなんだろう。
僕と同い年でこうもステータスが違うのか( ̄□ ̄;)
これが凡人と秀才の違いというやつだな。
しかもJさんはこのO先生を追いかけて転院してきたという。
JさんとOさんはアメリカの病院時代から先生と患者の仲ということだ。
この二人は歳も近いし、ひょっとしたら元々友達だったのかもと思ったが、そこまでは分からない。
Kさんは同じ病室だが主治医が異なる。
Kさんの主治医はちょっと小太りの普通のおじさん先生って感じだ。
(数年後、O先生に変わってこの先生が僕の主治医になる)
Kさんは「O先生はすごくデキる医者だから安心していいよ」と言ってくれた。
抗がん剤投与の時間になった。
点滴注射を腕に刺して注入。投与を始めると2~3時間ぐらいはかかる。
その間は腕に管が付いた状態なので、トイレや寝返りの時は邪魔でしょうがない。
あっさり何事もなく1回目の抗がん剤投与は終わった。
なんだ、こんなもんか。というくらいホントにあっけない。
終わった後も特に体に変化は何もなかった。
これが世に聞く抗がん剤か。大したことないじゃん。
その夜、変化がおきた。
寒い!
なんか知らんけどメチャクチャ寒い!
気温は空調で管理されているので何も変わってない。
僕の体だけが異常に寒気を帯びている。ガタガタ。。。
どうやらこれが抗がん剤の副作用のようだ。
看護婦さんに言って湯たんぽを何個もふとんの中に入れた。
この湯たんぽの数からするとありえない暑さのはずだが、それでもまだクソ寒い。
これ以上はどうすることもできないので、副作用がきれるまで耐えるしかない。
寒くて寝られないが、なんとか寝た。
朝起きた時、寒気は無くなっていた。
一応、もう1日病室で様子を見たが、その後は特に何も不調はなかった。
O先生にきくと、次回も同じ副作用になるかもしれないし、違うかもしれないとの事だ。
どのみち次回の抗がん剤は2週間後。
今回はこれで退院するが、次回も入院することにした。
次回もあんな寒気に襲われるかもと思うとちょっと億劫だな。
しかし24時間、呼べば看護婦さんのサポートを受けられるので入院して正解だと思った。
2007年3月(34歳)
あっという間に2週間が経ち、2回目の抗がん剤投与の日がやってきた。
今月は僕の誕生日。パンパカパーン!34歳になりました。
・・・喜ぶような年齢でもないし、むしろ何の感慨も湧かないというのが本音だ。
ましてやこんな状態だし。(-_-;)
カミさんは祝ってくれたが、今年は何のお返しもできそうにないので申し訳ない気になってきた。
病室には先輩方が揃っていた。
ただし、Kさんは治療中らしく胸に管が刺さった状態だった。
腕じゃなくて胸。。。初めて見た。
「胸に管刺さってていいのか?」と、ちょっとショッキングだった。
Kさんはご家族と談笑中だった。
ホント早く良くなるといいのに、と心から思う。
世の中には身勝手な理由で他人を傷つけてのうのうと生きている悪党がたくさんいるわけである。
なぜKさんみたいな良い人が病気で苦しまねばならないのか?
まったくもって訳の分からん世の中だ。
採血のあと、2回目の抗がん剤投与がはじまった。
そしてその夜も副作用の寒気がきた。
しかし、前回ほどの寒気はない。ガタガタ震えるほどではない。
翌朝、特に体に不調はなく、元気なほうだ。
これで1クール終了だ。残り5クール。
今回の副作用を考えると入院するほどではないと判断し、次回からは外来で抗がん剤を行うことにした。
抗がん剤は辛い、大変だと、大雑把に聞いたことはあるが、人によっては副作用が全然ない人もいるという。
ひょっとしたら僕は次から副作用は無いかもしれないと思い、これなら残り5クールもそんなに多くは感じない。楽勝とさえ思った。(めでたい奴だ)
また2週間経ち、3回目の抗がん剤の日がやってきた。
初の外来での抗がん剤だが、僕と同じような人たちがたくさんいることを知った。
14時開始の予約をしてあるが、基本的に順番なので時間は前後する。
3回目の抗がん剤投与が始まった。
念のため寒気対策で防寒着を持ってきたがこれは役に立たなかった。
寒気は全く無かったからだ。
何事もなく抗がん剤投与が終わり家へ帰る。
楽勝楽勝と思いながらも、夕方、一気に形勢が逆転する。
超猛烈な吐き気に襲われる。
昼ごはんと、なんなら朝ごはんの分も含むかもしれない、全部もどしてしまった。
その後は食欲不振。30分おきぐらいにくる吐き気。
喉が渇くも水を飲めば余計に吐き気を誘発しマーライオンの状態に。
飲んでも吐くし、飲まなくても吐く。
吐いて吐いて吐き過ぎて胃液も出し切った。もはや何も出ない。
それでも30分おきにくる吐き気のせいで心身ともにズタズタだ。
どうでもいいけど妊婦ってこんな感じですか?
結局、吐き気は明け方まで続いた。夜通し30分おきで洗面所へ行ってたのでほぼ徹夜した。
体力も相当消耗しゲッソリ。
これが抗がん剤の威力か。。。どうやら副作用は寒気から吐き気に変わったようだ。
前言撤回!
全然楽勝じゃありません。まだ寒気のほうが良かったよ。ギブアップ!
その日は吐き気こそおさまったものの、完全にグロッキー。
歩けばフラフラ。食欲は全くなく絶食。
家にじっとしてるのも嫌で、気分転換に近所をふらふら散歩する。
ダウンした気持ちは外の空気を吸うとちょっと安らぐ。
特に植物を見ると癒されることを知った。
そして夜になってようやくおかゆぐらいは食べれるようになる。
次の日は朝から普段通りの体調である。会社にも行ける。
どうやら峠は越したらしい。
しかし、ひょっとしたら次回の副作用は今回と違うかもしれない。。。
もうちょっと楽な副作用かもしれないと希望を持ったが・・・無駄だった。
4回目もまったく同じ副作用だった。
これはキツい!
なんとか2クール終えたが、残り4クール(8回投与)もあるのか。
1クール目を終えた時の気持ちと全く逆だ。テンションダダ下がり。
しかし副作用があるということは、薬がよく効いているとも解釈できる。
耐えるしかない。生き延びるために。
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