2007年5月
抗がん剤投与も3クール目。
要するに5回目と6回目の投与であるわけだが、やはり投与した3~4時間後に吐き気が発生。
そのまま明け方まで30分おきに吐き気がくるこの法則は2クール目の時から同じである。
抗がん剤投与は、2週間に1回のペースで火曜日の14時から開始している習慣だ。
なので、その火曜日が近づくと、あの吐き気がトラウマみたいになっているため非常に億劫になる。
サラリーマンが日曜日にサザエさんを見終えると気持ちが暗くなる「サザエさん病」みたいなもの。しかし、夜通し吐き気との付き合いを考えると「サザエさん病」以上に憂鬱である。
しかし抗がん剤投与の日は、同時にO先生の診察の日でもある。
それは僕にとってちょっとした心のオアシスみたいなもので、少し気が楽になる。
抗がん剤投与は事前にO先生の診察をしてからである。
診察といっても、内容的には体調管理と心のケアである。
現在の病気の進行に関することは触診で分かる範囲のみ。
詳しいがん細胞の進行具合はPET-CTを撮らないと分からないのである。
とはいえ、見た目にも変化が現れたところがある。
首の腫れがかなり小さくなったのである。
ここまで小さくなると、自分以外には腫れてるかどうか分からないレベルだ。
O先生いわく、薬がかなり効いている証拠との事。
これは嬉しい結果だ。
もう1つ変化がある。
髪の毛がだいぶ抜け落ちたのである。
抗がん剤投与から3か月近く経った朝、枕を見ると大量の髪の毛が!
何かの呪いかと思ったが、普通に考えれば抗がん剤投与してるから当然である。
逆によく今まで抜けなかったなと思うくらいだ。
だいぶ抜けたとはいえ、まだ見た目にはよく分からないぐらいだ。
僕の髪の毛は太くて多い方なので、ちょっと抜けた方がちょうど良いくらいかな。
そんなことを診察の際にO先生と世間話的に話すのであった。
抗がん剤はキツいが、O先生の診察は何かと頼もしい。
例えば、吐き気がひどいのでもっと強力な薬を望めばいろいろと提案してくれるし、プラスαで整腸剤にも気を利かせてくれる。下剤も僕の症状に合わせてグレードを提案してくれる。
食事もかつてないほどの健康食まっしぐらで、生ものは一切食べていない。なので余計に食べたくなるわけだが、O先生は食事にまあまあ厳しい方である。
・インスタントラーメンは非常食なのでなるべく食べないこと。
・肉は必ず火が通ったもので新鮮なものであること。
・生肉は体調を崩す可能性を引き起こし、抗がん剤のスケジュールに支障をきたすのでダメ。
こんなことをずっと言われていた。
しかし、治療開始から忠実に守り続けた僕に、O先生はちょっとだけ仏心を覗かせた。
ある日、久々に刺身が食べたいなー、と言うと、O先生は小声で「たまにはいいですよ」と言ってくれた。(笑)
そんな他愛もないことだが、お互いに軽い談笑や冗談話、世間話もする。
しかし、医者と患者の関係なので、同い年とはいえ友達みたいにはならないし、お互いプライベートの話まで踏み込まない。
僕にとっては丁度良い距離感である。
2007年6月
3クール目が終わり、4クール目に入る前にPET-CT検査を受ける。
抗がん剤投与もようやく折り返し地点。半分終わったのである。
ここでPET-CTを撮って現状を確認するつもりだ。
PET-CTはこのがんセンターには無いので、別の病院で受けに行く。
祈る気持ちである。がん細胞消滅してますようにと。
数日後、O先生から結果が伝えられた。
かなり快方に向かっているとの事。
ただし、まだ少しがん細胞が残っているので、しっかり治すためにも当初の計画通り、抗がん剤は6クールまで行うこと。
6クール終えた時点でもう一度PET-CTで確認し、もしまだダメならもう1~2クール増やす可能性もあると。「うおおー絶対嫌だ!6クールで必ず終えたい!!(心の声)」
ということで、4クール目の抗がん剤投与を受ける。
この頃になると抗がん剤投与中、点滴注射が刺さっている腕の血管がかなり痛い。
抗がん剤が日光に照らされて、その薬の水温が上がると血管に痛みが生じるみたいだ。
窓のカーテンを遮光性にすれば効果はあるかもしれないが、他の患者も何人かいるのであまり個人的なことでカーテンを閉めるのも気が引ける。
看護婦に相談したら、管をアルミホイルで包んで日光を遮る方法を取ってもらった。
一応、痛みは軽減した。んが、それでも結構痛い。もう後は我慢だ。
この痛みも吐き気同様、嫌だなー、と思わせる症状だ。
丈夫だった心が少しずつ削られていく。
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