マラソン大会以来、僕は走ることが完全に趣味になり、特技にもなりつつあった。
前回
ランニングの本まで買って、走り方まで勉強した。
10kmのランニングは今では当たり前のようにこなせている。
休日の朝ランは定着し、都合が悪い時は夕方、もしくは夜で埋め合わせをする。
走ることが習慣付いた今となっては、走らないと逆に不安になるくらいだ。
なぜなら、今まで積み重ねた時間と努力が薄れてしまいそうだからです。
すごくストイックな性格になってしまった。
走ることをあんなにも毛嫌いしていた自分がこうも変わるものなのか。
気持ちの変化も驚きだが、何よりも自分の体つきが逞しくなっていった事にランニングの効果を感じていた。
既に、足の筋肉はモリモリになり、ちょっとやそっとでは息切れしない肺活量と、風邪や体調不良とは無縁になったこの体質はどうだ。
今では多少、食生活が乱れても太りません。
日々のランニングによって脂肪が蓄積する暇なく燃焼させているからです。
こうなってくると健康の不安は一粒もありません。
今まで何も感じなかった日常の景色と空気はランニングによって妙に清清しく感じる。
走り終えた後の息苦しさと汗のだくだく具合も達成感の一つ。
自分の心身がこんなにも変化するとは神秘である。
もっと自分の体を高めたい。
もっと自分の体を試したい。
という気持ちが強くなった。
んが、この考えが自滅へのカウントダウンの始まりだった。
坐骨神経痛、腰痛、両肩の痛み
【2009年10月】ハーフを目指す
この頃になると、距離はハーフ(21km)を目指していた。
別に10kmがかったるい訳ではなく、むしろちょうど良さを感じていましたが、もっと高みにいきたいという気持ちが強く、ハーフマラソンを目標にしていました。
距離数は12km・・・15kmと増えていった。
ランニング日も休日だけでなく、平日、会社を定時あがりで帰宅し、夕方走ることもしばしば。
ランニングだけでは飽き足らず、走る前にスクワット30回、腕立て伏せ60回、腹筋50回x2、鉄アレイなど使った筋トレをメニューに加えていった。
そんなこんなで、ある時、ようやく20km走りきれるようになった。
計測タイムはちょうど2時間。(汗)
一般的にはかなり遅いタイムだが、自分としては2時間も休むことなく走りつづれたことに感心した。
このペースでトレーニングを進めれば、いつかマラソン大会でハーフの部に出場できるかもしれない。
絶対不可能と思っていたハーフに希望が出てきた。
この月の月間走行距離は170kmだった。
【2010年1月~2月】マラソン大会出まくる
マラソン大会のシーズンになった。
この2ヶ月間で4つの大会に出場した。
全てソロで参加。
いずれの大会も10kmの部である。
ハーフを大会で走りきるにはまだまだ力が及ばないので来季にお預けにした。
親戚たちとは4月の大会で一緒に行く約束をしてあるので、それまでに力をつけておきたい。
このころになると、計測タイムは45分が当たり前になっていた。
自己ベストは43分。
来季はもっと上にいけそうな予感がしていた。
人生が楽しいと感じた絶頂期である。
【2010年3月】腰に違和感と足の痛み
ランニング中、腰に違和感を感じた。
痛みではないが、何か調子がおかしい。
尾てい骨よりちょい上、やや左側である。
しばらくそのまま走り続けたが、不安になって徒歩に切り替えた。
別の日でも違和感は発生した。
同じ場所である。
そのうち治るだろうと思っていたが甘かった。
走り終えた後に、足に激痛が走った。
このとき、まだ腰に痛みは無い。
両足全体に連続的に電撃が走る痛み。
特にふくらはぎへの痛みが強い。
とても歩けないぐらい痛かったが、しばらくじっとしていたら痛みは引いた。
しかし、歩き始めると再び電撃が走って歩行困難に。
さすがにこれはタダ事ではない。
すぐさま最寄の整形外科へ行った。
整形外科で事の経緯を話し、下半身のレントゲンをとったところ、骨に異常は見られない。
医者は分からん分からんを連発し、終いには湿布を両足にベタベタ貼られた。(汗)
今思えば、この医者はちょいヤブだったかなと。
医者ならヘルニアを示唆してほしかった。
まあ、この時点で腰痛は感じなかったので、普通の医者ではヘルニアまで見抜けないかもしれない。
名医であれば、僕のこの症状に至る経緯を聞いた時点でヘルニアを疑うような気がする。
街医者にそこまで求めてはいけないか。(笑)
とにかく、これは坐骨神経痛です。
坐骨神経痛とはその名の通り、坐骨神経が何らかの異常から起こる神経痛である。
坐骨神経は、腰から足にかけて通った太い神経です。
この神経の出元は腰椎からきてるので、ヘルニアが神経を圧迫することにより、坐骨神経を刺激して足に痛みが発する。
なので、足が痛くても足に異常があるわけではありません。
だが、足を力強く揉めば痛みは緩和されます。が、それは一時的なものです。
ヘルニアが引っ込まない限り、根本的な解決に至りません。
この時の僕は、坐骨神経痛も含めて、ヘルニアという病態に関して全くの無知だったので、恥ずかしながら湿布で治ると思い込んでしまっていた。
しばらく安静にする生活となった。
【2010年4月】坐骨神経痛が続く
親戚たちと約束していた4月のマラソン大会は出場を棄権した。
坐骨神経痛はあの時ほど酷くないが、とても走れる状態ではない。
一応、会場に行くには行ったが応援のみ。
参加費は既に支払い済みだったので、勿体無かったからである。
むなしい・・・。
せっかくこの大会を目標にして頑張ってきたのに・・・。
まだこの時は、治り次第、取り戻してやる気マンマンである。
花見の季節だったので、気分転換にカミさんと地方の桜祭りに行ったが、5分も歩けば両足に電撃が走る痛みが生じる。
桜どころではない。(汗)
未だに、休み休みにしか歩けない状態。
間歇性跛行(かんけつせいはこう)
という症状である。
この頃になると僕はヘルニアを含めていろんな事を知っていた。
坐骨神経痛がいつまで経っても治らないので、グーグル先生で調べまくったからである。
腰椎椎間板ヘルニアなんだろうか?
でも、なぜ腰が痛くないのだろうか?
痛いのは両足。
ヘルニアなら腰痛が伴うはず。
脊柱管狭窄症が疑わしいが、なんにせよMRIを撮らないと分からない。
【2010年5月】MRI検査の結果
今月は会社の同僚とマラソン大会に出場する・・・はずだったが、これも棄権。
もうかれこれ2ヶ月もランニングしていない。
完全に体がなまってしまった。
精神的にも、とてもやりきれない。
走る、というのが当たり前の生活だったのに、それが突然、全て奪われた。
今まで費やした時間とお金と努力が水の泡となっただけでなく、復帰の目処も立たない。
ストレスは溜まり、気持ち的に完全に腐っていた時期です。
そして、いつの間にか腰痛も発生するようになっていた。
同時に肩の痛みも発生。
腰痛の症状
四六時中、寝ても覚めても、立ってても座ってても腰痛である。
なぜ今になって腰痛になったのか分からないが、とにかく生き地獄の始まりである。
腰の痛み方が何とも言えないぐらい嫌な痛み方である。
ズキッ!ではなく、ギシギシ、ジワジワした痛み。
腰が抜け落ちるような感覚の痛みというべきか。
ちょっと表現し難いが、なんにせよ今まで体験した事ない腰の痛み方である。
起きてても寝てても痛い。
姿勢によって緩和される事はありません。
家にあったコルセットを毎日付ける生活になった。
気休めだが、腰に巻いている感じが精神的にちょっと安心感をもたらす。
両肩の痛み
腰痛に次いで深刻だったのが、両肩の痛み。
肩甲骨ではない。
肩と首の間の筋の部分である。
腰から強い力で引っ張られている感じで、とても痛い。
寝ている姿勢では痛みはないが、上半身が起きている状態だと、ずーっと痛みが走る。
これがかなりキツい。(汗)
よく片方の手で、「?」の形をしたツボ押しの道具を持ち、肩と首の間の筋をグリグリと押してました。
ただ、イタ気持ち良いだけで、改善にはならない。
猫背矯正ベルトをしたら、そこそこ痛みは緩和された。
これはどういうことか?
腰のヘルニアが神経を圧迫して足への坐骨神経痛を生じさせたのと同じように、肩と首の間の筋にも神経痛がきていると考える。
僕は猫背なので、余計に神経が引っ張られて痛みが生じる。
逆にのけぞると痛みは減る。
なんにせよ、寝てるとき以外、この両肩の筋にジリジリした痛みが続いている。
キツイ~。
MRIの結果
そして、ようやくきたMRIの日。
これでいろいろ分かるはず。
この整形外科は大きな病院で、全国的にも有名である。
いろんなスポーツ選手、プロ野球選手も訪れるという。
MRI画像を見て、医者は開口一番、
腰椎椎間板ヘルニア
との診断を下された。
がびーん。(古っ)
覚悟はしていたが、やはりショック。
4番と5番の椎骨の間の椎間板にヘルニアがあった。
この部分のヘルニアが一番多いパターンだという。
ヘルニアと向き合う
ヘルニアの原因は様々である。
過度の運動、加齢による骨の弱り、何かの衝撃などなど。
僕の場合、全てに当てはまる。
一言で言えば、僕は調子に乗りすぎた。
そして無知だった。
自分の体の限界を過信した報いである。
ほどほどにしておけばよかった、と今さら後悔しても遅い。
ヘルニアから開放される方法は2つ。
手術か保存療法である。
手術でヘルニアを切除する方法。
これで治した症例も数多くあるみたいだが、同時に再発することもよくあるという。
手術となるとそれ相応に準備とか、通勤、生活にも支障が出る。
リスクも少なからずあるので、あまり酷い症状じゃなければ病院側は保存療法を薦めてくる。
保存療法とは、何もせず安静にして日々過ごすことである。
運動は一切せず、おとなしく過ごしていれば何ヶ月後には腰痛は解消するというのだ。
なぜなら、飛び出した髄核は免疫細胞が食べてしまうため自然に消えるからである
当然、僕は保存療法を選んだ。
病院の薦めで、コルセットをオーダーメイドすることにした。
自分の体に石膏を塗って型を作り、コルセットを作り上げる。
世に2つとない自分専用のコルセットである。
この病院で作ることが可能で、保険も下りるとの事。
実質8000円で入手できた。
そのコルセットを付けてみると、なんと腰の楽なことか。
市販品のものとは全然レベルが違う。
オーダーメイドの凄さに驚く。
しばらく、家でも会社でも付ける生活になった。
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