長野観光と戸隠スキー場へ!川中島古戦場跡~善光寺~岩松院~大雪の高妻ロッジへ

子供の冬休みを利用して長野へ観光旅行しました。

今回の訪問先は長野県長野市にある川中島古戦場史跡公園善光寺

そして小布施町岩松院です。

長野県の中南部までなら何度か行った事ありますが、北部を回ったのは初めてです。

新年一発目の旅行記です。

長野の歴史を巡る! 川中島古戦場史跡公園~善光寺~岩松院

今回のルートです。

最後の目的地は高妻ロッジという戸隠スキー場前にある宿泊施設になります。

 

今回の家族旅行は、もともと戸隠スキー場でスキーをするのが目的です。

しかし、我が家からはかなり遠方なので前泊が必要です。

よって、前日はのんびりと長野の観光地を巡ろうではないか、ということになりました。(のんびりとは言い難かったですが)

 

戸隠スキー場と高妻ロッジのレビューはこちら。

→ 戸隠スキー場は本当に超パウダースノーだった穴場的ゲレンデ&ロッジレビュー

川中島古戦場史跡公園(長野市立博物館)

最初の目的地は川中島古戦場跡

我が家からだと高速道路を使って、休憩込みで約4.5Hの道のり。

本日は1月4日なのでUターンラッシュに巻き込まれる事を懸念していたが、そんな事は全然なくスムーズに辿り着くことができました。

道中、多少の積雪はあったが、スタッドレスタイヤなら全然問題なし。

→ オートウェイでタイヤ・ホイールセットを安く買う

 

川中島古戦場史跡公園に到着。

キチっと整備された公園ですね。

今日の公園は少し閑散とした雰囲気ですが、景色は素晴らしいです。

これぞ長野!って感じです。

新緑の季節の景色はもっと素晴らしそうですね。

人出も賑やかなんでしょうか。

 

公園内を北に歩くとお目当てのものがありました。

武田信玄上杉謙信の像。

上杉謙信の振り上げた刀を、武田信玄が軍配団扇で受け止めようとしているところです。

 

ここは長男が楽しみにしていた所です。

実は長男、日本史が好きで、特に戦国時代がお好みのよう。

僕もどちらかといえば好きなほうです。

そういう人には長野の観光はうってつけでしょう。

特にここ、川中島古戦場跡なんて、歴史マニアにはロマン溢れる聖地的な場所じゃないでしょうか。

 

と言っても、この武田信玄と上杉謙信の一騎打ちは、史実なのか架空なのか定かではないようで。

どちらにせよ、武将の一騎打ちは男心をくすぐるロマンがありますな。

 

長男はこれにも興味を持ったよう。

これは執念の石と言うらしい。

上杉の首を取り逃した武田軍の家臣が悔しさのあまり、傍らの石を槍で突き通したそうだ。

その石がこれのようです。

面白いね。槍の方が折れそうですが??

 

武田軍と上杉軍の合戦図はこちらです。

武田の方が優勢という事らしい。(よー分からんけど)

 

川中島の戦いは計5回もあったそうだが、最も激戦となったのは4回目のようで、両軍共に多くの兵、武将を失ったとされる。

こういうのを語りだすと長くなりそうなので、ここはざっくばらんな解説で。

上杉1万3千の兵に対して武田は2万の兵力で、数の上では武田が圧倒的に有利。

それで武田軍が上杉軍を包囲しようとしたが、上杉はその作戦を見破り、夜中に隊を移動。

武田に気付かれないよう上杉軍は武田軍の本陣手前まで進軍し、早朝に奇襲をかけたという。

成果としては上杉はとても良いセンまでいったんだが、結果的には武田信玄を打ち取れず、もたもたしている間に武田の援軍が駆けつけてしまい上杉軍は撤退したとの事。

サッカーや野球なんかでもあと一歩だったのに!というパターンは多々ありますが、それと同じようなモヤっと感があります。

 

すぐ隣にお参りをするところがあったので立ち寄ってみる。

川中島古戦場八幡社

賽銭所は2つあり、せっかくなのでどちらもお参りする。

ここにあるご神木がとても見事。樹齢400年という。

 

さて、次は博物館に行こう。

この長野市立博物館もこの公園の敷地内にある。

長野市立博物館

立派な建物だ。

竣工40年以上経っているらしいが、それにしてはかなり綺麗ですね。

プラネタリウムもあるみたいだけど、今日は休みらしい。

1F、2Fともに展示場になっているようで、お目当ての川中島の戦いに関するものは2Fのようだ。

とりあえず全部まわってみよう。

 

展示物にVTRなど、綺麗な上に充実してますな~。

長野の土地のことや生活、文化、歴史、現在に至るまでの成り立ちなど知識の宝庫だ。さすがは博物館。

100万年前の古地理や土器、勾玉など弥生時代の物まで多く展示されている。

「長野=川中島の戦い」ぐらいにしか思ってなかったけど、そんなことなど長野の歴史からすればほんのごく一部に過ぎませんな。

しかし、そんな僕みたいな人のために、この博物館は特別展示室が備えてあった。

1Fの展示場とは逆方向に通路を渡るとそれはあった。

まさしくここは川中島の戦いに特化した展示室です。

展示物もクオリティ高く、大きなパネルに分かりやすくあれこれと解説してある。

ただ、僕は長い文章をつらつらと読み続けるのが面倒と思うタチで、適当に掻い摘んで読むクセがあり、そのせいで中途半端な理解で終わる。(汗)

しかし、そんな僕みたいな人のために、この特別展示場は合戦のことを簡単に解説した短編動画を無料放映してくれていた。

すばらしい。なんて痒い所に手が届く博物館なんでしょう。

おかげで川中島合戦の事はよく分かりました。

長男もご納得のようです。

 

ここへ来てすでに1時間半ほど経っただろうか。

楽しかったせいかあっという間に感じた。

この後の予定もあるので、そろそろ行かねばならない。

ではさらばだ!川中島古戦場史跡公園。

お次は善光寺へ。

善光寺

善光寺

 

善光寺は川中島古戦場跡から車で30分ほどの距離だが、ネックだったのは今日が正月明けということです。

ここは観光名所なのでただでさえ混み合うイメージ。

今日は輪をかけて渋滞するのでは?という懸念があった。

あまりにも時間を食うようであればスルーせざるを得ない覚悟もありました。

 

予想通り、周辺の交通状況は混雑しており、駐車場はたいてい満車で駐車場探しは困難かに思えた。

しかし途中、善光寺第四駐車場がまだ空いているジェスチャーをした誘導員のおじさんを発見。

おかげさまで思ったよりは早く駐車することができた。ラッキーである。

とはいえ、時間を食ったことには変わりはないので、次の予定を考えるとそうのんびりもしてられない。

 

とりあえず腹が減った。

時間は既に13時をまわっている。

ここまで来たらやっぱ蕎麦でしょ、と全員一致。

 

善光寺の本堂近くには蕎麦屋が2店あった。山城屋と尾張屋。

外に置いてあったメニューを見比べてみると、尾張屋の方が少し安かったのでそっちに決定。

尾張屋

ボウズらはざるそば、カミさんはかけそば(小)。

そして、僕はもりそばを選んだが、実はもりそばとはなんぞや?と、知らないのに注文しました。(汗)

厳密に言えば、その名は聞いたことはあるが、実際見た事がないのでこの機会に自身で体験してみることにしました。

 

じゃじゃーん、さあ出てきました!もりそば

・・・?? ボウズらのざるそばと同じやないかい!?

蕎麦の量が盛り盛りなのを少し期待もしたが、まったくのフツーではないか。

ざるそばとの違いは・・・海苔の有無?

ざるそばには海苔がまぶしてあるが、もりそばには海苔が一切ない。

 

どうやらもりそばとは、ざるそば海苔無しバージョンのことのようだ。

マジか?この程度の差で名称まで変わるものなのか??

だったらざるそばの方が良いではないか。(汗)

・・・本当のところの違いは別にあるのかもしれないが、ワシには分からん。

詳しい方、教えてください。(笑)

 

ま、ともあれ、美味しかったのは事実です。蕎麦湯も提供してくれました。

 

食べている最中、外を見るといつの間にか雪がちらちらと降っていたことに気付く。

スマホの雨雲レーダーを見ると、15時頃がピークとの予報。

少し急ぎ気味に食べて店を後にする。

 

まずはあの山門を通る。

その前に手水舎で手を清めるが、コロナ対策のため柄杓は用意されてない。

 

見えたぞ、善光寺の本堂!

この行列は本堂へ続く行列かと思えば違った。これはお線香をする行列だった。

せっかくなので我々もお線香をやることにした。

 

10分ほど並んでようやくお線香の前に。

お線香を購入し、火をつけるボウズら。

お線香をこの大香炉に放り込み、そこから発する煙を体に浴びれば健康のご利益が得られるという。

ま、観光地あるあるですね。

旅の思い出をひとつ深めるのにこういうのは欠かせません。ここは滅多に来れないところなので尚更です。

ボウズらはこの線香の臭いが好きとの事だが・・・ワシには分からん。。。

長男は御朱印が欲しそうだったが、ものすごく並んでいたのでやめた。

 

さて、いよいよ本堂。

せっかくなので、本堂の内陣を拝見してみようということになった。

本堂内陣券を購入し、レッツゴー。

と言いながら、中は撮影禁止なので写真はありませぬ。(汗)

とりあえず、文章だけでお伝えします。(伝わりにくいかも)

 

さあ、靴を脱ぎ本堂に入りました。

中はほとんどが金ピカで、お参りするところもあります。

善光寺内陣公式HP

・・・床がめっちゃ冷たい!

どんどん進むとお戒壇巡りに差し掛かりました。

お戒壇巡り

この回廊は天井がとても低く、大人は必ず前屈姿勢で歩かなければならない。

僕が先頭で、ボウズら、カミさんの順に一列になって進む。

 

中は完全な暗闇だった。一寸先も見えない。

暗黒とはまさにこの事で、ここまで真っ暗な視界を経験したのは生まれて初めてかもしれません。

「うっすら」という表現すら皆無です。

頭上の高さも定かではなくなり、ずっと中腰のまま手探りで恐る恐る前進していくしかない。

 

少し歩くと明かりを見つけた。約3メートル間隔にある。

んが、凄くほっそりとした灯で、明かりとは言い難いレベル。

この暗黒の中でもぎりぎりまで近づかないと見過ごしてしまいそうな灯で、道を照らす役割はほとんど果たしていない。

  • はたしてこの道で合っているのか?
  • 知らない間に道が二股に分かれていて、間違った方向に進んでいていないか?

など、妙な不安が生じてきた。

暗闇のせいか、回廊はとても長い距離に感じられた。

 

しかし、僕の不安はもうひとつ別のところにある。

こんなに長いこと中腰で歩いて、ワシの腰、大丈夫だろうか??

腰椎ヘルニアなので。(汗)

→ 腰椎椎間板ヘルニア戦記2022-⑧ 接骨院変更!保険適用外の施術で回復!

ここ数日は割と調子良いが、腰に爆弾を抱えている状態なのは事実。

今ここで腰痛、坐骨神経痛がぶり返すのは困るし、明日のスノーボードにも影響大だ。

・・・先ほどの大香炉のご利益に期待したいわ。(苦笑)

 

ようやく出口。

出口付近は外の光が少し漏れているので、やや暗闇が和らいでいた。

この程度でも一気に視界が開けたように見える。

やった!ようやく終わりだ、と安堵。

 

終了~。

終えてみれば楽しかったという感想。

これは良い経験になりました。

とりあえず腰への影響もなさそうだし、一安心。

 

さて、そろそろ次の目的地に向かわねばならない。

さらばだ本堂。再び山門をくぐる。

 

善光寺はこの時間帯が一番混んでいるようで、人ごみのため歩きにくかった。

相変わらず御朱印は並んでいるし、やはり善光寺の人気はハンパないね。

途中、奇妙なものを見つけた。

善光寺六地蔵

六地蔵は現世滅後に六道へ人を導き、迷ってる人や困ってる人を救済してくれると言う。

ありがたいね。その時はワシもお願いしますわ。

 

時間はすでに14時。

チラついていた雪はいつしかやんでいた。

んが、いつまた降るか分からん空模様なので、それまでに車に乗り込んでいたいところだ。

そうでなくても次の予定があるので、どのみちのんびりできない。

 

と、言いながらも、仲見世通りを歩いていたら、ボウズらはどうしてもおやつが食べたいとの訴え。(汗)

ならば、名物のおやきが妥当でしょ、ということで、たまたま近くにあったいろは堂で買うことに。

おやきはいくつか種類があり、僕とカミさんは王道の粒あんだが、ボウズらは期間限定のサツマイモ狙いのようだ。

しかし、なかなかの行列だ。待ち時間10分以上というところか。

であれば、立ち食いしているヒマが惜しいので、テイクアウトして車の中で移動中に食べるつもりで行列に並ぶ。

 

カミさんとボウズらがおやきで並んでいる間、僕はふらふらとこんな看板の前で立ち止まっていた。

なんて旨そうな大学芋なんだ。。。(汗)

どうしようか迷ったが、ここに並んでいるお客さんは2組だけだったので、ボウズらとカミさんがおやきで並んでいる間に買えてしまいそうだ。

よし!買ってしまおう。

大学芋はカミさんの大好物ということもあって、このスキマ時間を利用して購入した。

勘定して店を出るのとほぼ同時に、カミさん、ボウズらと出くわした。

グッドタイミングだ。

 

大学芋は4つあるので一人一個ずつ食べれる。

こいつはこの場でささっと食べてしまおう。

味見してみると全員大好評だった。

何と言っても蜜がもの凄くおいしかった。

やはり買って正解だ。これは食べないと損するところだった。(笑)

 

とまあ、なかなか仲見世通りを抜けられない状態となったが、ようやく駐車場のマイカーに乗り込むことができた。

しかし、相変わらず善光寺周辺の交通量は多く、駐車場を出発できてもすぐにはこの区域から脱出できない。

やれやれと言いたいが、自業自得といえばそれまでか。

 

次の目的地は岩松院というところです。

場所は小布施町。ここからだとやや距離がある上に、そこは15時半ぐらいで締め切りというからちょっと焦る。

 

車中でさきほど買ったおやきを食す。美味でございます~。

 

なんとか混雑ゾーンは抜け出したが、それでも市街地の交通量はやや多く、思ったより進まない。

ルートを変えて混雑路を回避しながら運転しようとするカミさん。

土地勘が無いのでナビの地図が頼りである。

15時半までに岩松院に着けるのだろうか。(汗)

 

善光寺は楽しかった。最後の最後まで楽しめました。

齢49にして、ようやく念願叶った善光寺でした。

善光寺は正月明けの渋滞を懸念して断念することも念頭にあったが、結果的に行けて良かった。

 

余談ですが、ここで僕の善光寺に対する思いを。

すっとばしてくれて構いません。(笑)

余談すぎる余談

僕は22歳の頃、仕事の関係で山梨県甲府市に2年ほど住んでいたことがあり、そのアパートの近くにも同じ名前、(甲斐)善光寺がありました。

当時の僕は日本史自体に無知で、どちらの善光寺にしても大して関心はありませんでした。

しかし、山梨の会社の上司に、「牛にひかれて善光寺」という有名なフレーズを教わり、それは甲府の善光寺ではなく、長野の善光寺のことだということも教わりました。

それ以来、なぜか妙に長野の善光寺が頭の中でインプットされてしまった。

甲斐善光寺が近くにあったので、本家の善光寺が少し気になったのかもしれません。

んが、当時は今みたいにインターネットが無かったので、ささっとは調べられず、かといって、わざわざそれ目的で長野まで行こうとまでは思わなかったです。

善光寺の全貌を知らぬまま時は過ぎ、そして忘れていった。

 

30歳になって戦国時代に興味を持ち、そのテの小説やドラマ、映画をたくさん見るようになり、川中島の戦いの事も知りました。

それに紐づいて長野の善光寺の事も知ることになり、あの頃のことを思い出した。

インターネットも普及した時代になっていたので、善光寺の外観や情報はすぐに得られ、興味も沸いた。

しかし、興味はありつつも、行く機会を得られずこの歳(49)になってしまいました。(汗)

 

27年もの月日を経てようやく直接お目にかかれた善光寺。

まさかボウズらのスキーがきっかけでここに来れる事になろうとは・・・人生分からんものです。

岩松院

善光寺から小布施町岩松院へ向かう。

グーグルマップ上では善光寺から30分ぐらいの道のりだが、道路が混んでいるせいでそうはいかなさそうだ。

混雑路を避けてルートを変えてみたが、実際に短縮できたかどうかはビミョーなところ。

・・・逆効果だったような気もするが?(汗)

所詮、土地勘のない奴が右往左往したところで、たかが知れているというものです。

途中、三才駅の3両電車が走る姿を見る。

旅先で地方の電車が走っている姿を見ると、なんだか旅行のテンションも上がります。

て、そんな悠長な気分に浸っている場合ではない。早く踏切開いてくれー。

てか、踏切を跨ぐような迂回路を取ってんじゃねーよ。(汗)

 

そんなこんなで、信号をスムーズに通れなかったりして間に合わないかもと思ったが、15:15に到着。

寒々しい景色ですが、ここは本当に寒いです。

風もやや強く、雪も舞っているので尚更です。

 

車を降りた途端に密度の濃い冷気が身体を襲う。

・・・なんだこのヤバい寒さは!

体の芯から凍てつくようなこの寒さは、もう一枚、中に着こまないとキツイかも、と思ったが、旅行バッグの中を物色する時間的余裕は与えられず、皆すぐに車を降りて岩松院にダッシュ。(汗)

なぜみんなそんな元気なんだ?

岩松院の門に到着。

うう寒い!寒すぎるぞ、岩松院!(汗)

門をくぐると庭池に残雪。

風流な風景に浸る余裕はありません。

頭の中は「寒い」の文字でいっぱい。早く館内で暖まりたいっす!

お目当ての解説は15時20分が最終だったようです。セーフ!

どうやら思ったよりも早かったようで、長男とカミさんは胸をなでおろしたようだ。

というか、僕はてっきりここの閉鎖が15時半ぐらいかと思っていたが、解説がターゲットだったのね。。。

今さらですが、実はワタクシ、この岩松院というところ、急いで来ることに協力はしたもののここが何かよく知りませぬ。(汗)

なので実のところ、解説ってナニ?というぐらい、僕だけ浮いている状態です。

 

昨日、長男に岩松院に行くと伝えられ、何ソレ?と問うと、葛飾北斎の絵があるところ、と聞いただけです。(汗)

解説とは、ここに飾られている葛飾北斎の絵についての解説の事らしい。

有形文化財に指定されている絵なので、ただただボーっと見たり、ギャーギャー騒いで見るのではなく、識者の解説と共に静かに鑑賞しましょう、ということのようです。

ということを、今ここに来て初めて知りました。僕だけ。(汗)

 

この旅行の観光地巡りにおいて、僕が希望を出したのは善光寺のみで、それ以外の巡りは全てボウズらとカミさんに委ねてました。

最初の川中島古戦場史跡公園はその名前で何があるか察しはつくものの、岩松院は長男から葛飾北斎の絵があると伝えられただけで、ああ、きっとあの波の絵(神奈川沖浪裏)が飾ってあるのだろう、という程度。

僕は葛飾北斎に興味は無いが、あの有名な波の絵が生で見れるならそれも一興かなと思ったが、どうやらその絵ではなく、鳳凰の絵八方睨み鳳凰図)との事。

そんな絵あったっけ?ていうぐらい僕は無知でここへ来ました。(汗)

 

それよか長男が葛飾北斎に興味があった事のほうが意外でした。歴史人物は武士しか興味ないかと思ってたので。(笑)

しかし、どうやらここは長男だけでなくカミさんも切望していたという。

なにやら以前、長男とカミさんはNHKで岩松院を紹介した番組を一緒に見ていたらしく、その時この場所に心を打たれたもよう。

なるほどね。

 

さて、館内に入りますか。

早く暖まりたいわ~。

館内は撮影禁止なので写真はありませぬ。

公式HPをご覧ください。

岩松院

ここも善光寺内陣の時と同じように、文字だけでお伝えしときます。

 

さて、中に入り、靴を脱ぐとすぐに受付があるので、そこで料金を支払う。

外見同様、中もこれぞ日本家屋!てな作りで、一度に30人ぐらいは入れるだろう広さ。

今日のお客さんは僕らを含めて15人ぐらいだった。

 

いろんな古めかしい展示物が飾ってあるが、僕にはよく分からんものばかりだ。

んが、整然とされており、ごちゃごちゃした感じは無い。

 

そんなことより・・・寒い。

僕の思いとは裏腹に館内は寒かった。(汗)

あれ?暖房は??

ついていないのか、いや、あえてつけてないと見るべきか。

文化財への配慮なのだろうか?

ま、外よりは冷風を受けないだけマシだが、芯から冷える寒さには変わりない。

スタッフは受付も含めて女性しか見当たらないが、そこまで厚着をしているようには見えない。

この寒さに慣れているのかもしれない。

 

僕の心中は、早く車の中に戻りたい、です。(汗)

んが、我慢するしかない。

 

解説が始まるまで3分ぐらい余裕があるので、屋内をぶらぶらと見学する。

部屋から見える池はとても趣があり、そこにの像を発見した。

なぜ蛙の像が??

これは江戸時代中期、俳人小林一茶がここに来た時、この池にいたオスのヒキガエル2匹が1匹のメスをめぐって戦っていたのを見て、やせ蛙まけるな一茶ここにあり】という俳句ができたことにちなんだそうです。

僕は小林一茶という人物を今日まで知りませんでしたが、有名な歴史人物だそうで。

調べてみると、俳人としては秀才でも、その半生は不幸な事が多く、苦労人であることを知りました。

 

廊下には地蔵が置いてありました。

これは撫で地蔵で、自分の体の痛いところと交互に地蔵の同じ場所を撫でると治るそうだ。

腰椎ヘルニア持ちの僕はもちろん腰を。ついでに膝も。

といっても、今はコロナ禍なので直触りは禁止。

エアーなでなででした。(笑)

 

さて、ようやく本題。

いよいよ解説の開始となった。

大広間に通され、そこには腰掛けが用意されており、適当にみんな座る。

天井を見上げると、おお!凄いデカい絵が!

公式HPより転用→ 岩松院

カミさんが楽しみにしていたこの八方睨み鳳凰図は、葛飾北斎が生涯で最後に描いた絵だそうです。

大きさは約20畳という。

 

北斎が東京ではなく小布施で書いた理由は、その時の将軍徳川家斉天保の改革によって、自由に絵を描くのが許されなかった時代だったからのようです。

北斎は15日かけて徒歩で小布施まで来たそうです。凄くない?

と言うような事から、この絵の特徴はもちろん、岩松院と福島正則の事も解説者は詳しく、とても分かりやすく語ってくれました。

 

福島正則は言わずもがな豊臣秀吉の重臣であり、関ケ原の戦いでは徳川方に加担してそこで武功を挙げ、広島50万石の大大名になった。

んが、このあと徳川の謀略により、この地方(4万5千石)に国替えさせられ、その後死去。

この岩松院に福島正則の墓があると聞いて僕は驚いた。知らなかったー。

 

解説者は年寄りの女性ですが、とても凛とした、それでいて若々しい性格な方です。

ボウズらにも個人的にとても優しく話しかけてくれた。ありがたや。

ボウズらにとっても良い思い出になったことでしょう。

 

解説が終わった後、長男は御朱印、次男は北斎の絵ハガキを買った。

受付の周辺はそういったグッズが数々用意されていた。

なかなか商魂たくましいじゃないか。(笑)

 

さて、そろそろ退散だ。

意外と面白いと感じた。そして感銘も受けたところでした。

来た時はただ寒いだけだったが、いつのまにか解説に聞き入ってしまい、いつの間にか寒さはあまり気にならなくなっていました。

とはいえ、早く暖かい場所に行きたい。(笑)

 

門の近くの地蔵様。これは十一面観音菩薩像

死後、極楽浄土に行かせてくれるとの言い伝え。

善光寺六地蔵と似たようなフレーズやな。

 

岩松院を後に駐車場に戻ってきた。

車は暖かいのう。ホント寒かったわー。(じじくせーな)

 

観光地巡りはこれにて終了です。

次は明日のスキーのため、ロッジへ向かいます。

ではさらばだ岩松院!

大雪の山道!戸隠スキー場を目指して高妻ロッジへ向かう ~4年目のスタッドレスタイヤの性能は

ここから戸隠スキー場まで、雪道を想定すると1時間半はかかる気がした。

山道なのでガソリンスタンドは無いものと思われる。

ガソリンの残量は半分よりちょい下だったので、この市街地を抜ける前に給油はしておきたい。

と言う事でガソリンスタンドへ行く。

 

この辺の地域ではガソリン価格が高め。170円ぐらい。

しかし、いつもの地元のスタンドとは違う事をやってくれた事に長男は感動したようです。

  • スタッフが給油してくれた!
  • タオルで窓を拭いてくれた!

・・・長男はセルフスタンドしか知らないので。(笑)

まあ、有難いと思うのは良い事なので、ここはスルーしておこう。

 

風が強く、雪も舞い散る中、上信越自動車道を北上。信濃町インターで降りる。

進むほどに景色が白くなっていく。

この分だと、山道は予想を超える雪道かもしれない・・・とちょい不安が走る。

 

県道36号線(信濃信州新線)を走る。

とにかく大雪なので、除雪跡はすぐに埋まる勢い。

こんな雪道でも、思ったよりタイヤはちゃんとグリップするので危なげなく進みます。

しかし、こんなのまだ序の口でした。

夜になるとさらに大雪が舞い、雪道はもはや一片の轍すら見当たらない。

どこを走っているのかよく分かっておらず、完全にナビ任せです。

対向車はごくたま~にすれ違うが、後ろから来る車は一台も無い。

んが、これはラッキー。

後ろを気にせず自分のペースで走ることができるのでやり易い。

 

僕の車は80系ノアの2WDだがこんな豪雪路でもスリップはおろか、ふらつきひとつしなかった。

→ トヨタ新型ノア購入記2018①~値引き額と購入決断のポイント

ま、アイスバーンではないし、雪質や車重などいろんな要因があるので一概には言えないが、タイヤ自体のグリップ力は素晴らしいと感じた。

→ オートウェイでタイヤ・ホイールセットを安く買う

このナンカン製スタッドレスタイヤは早いものでもう4年目だが、性能の劣化は全然感じない。

これはひとえに、オフシーズン中の保管環境が良いのと、ナンカン品質の賜物かも。

もはや、国産やミシュランなどの高価なスタッドレスタイヤを選ぶ気にはならない。

といっても、ナンカンも知名度とともに値が上がってきたので、次買い替える時、選択肢に入るかどうか微妙なところだが。。。

 

無事に高妻ロッジに到着!今日はここで宿泊です。

風と雪が猛烈です。タイヤチェーンを巻く作業なく来れて本当に良かった。

さあ暖かい風呂と飯にありつこう。

 

戸隠スキー場は目の前です。

明日のスキーも無事に楽しめますように!

 

続きはこちら

戸隠スキー場は本当に超パウダースノーだった穴場的ゲレンデ&ロッジデビューへ続く!

まとめ

川中島古戦場史跡公園、善光寺、岩松院を巡りました。

 

初めて訪れた長野市と小布施です。

長野北部はずっと行きたかった地域でした。

そして期待通りの楽しさと景色、新たな学びも得ました。

少し残念だったのは、雄大な千曲川を上からじっくり展望できなかったこと。

何年後に叶えられるか分からないけど、その時は夏がいいかな。

他にも行きたいところはいろいろあるし、楽しみはとっておくことにしよう。

 

不安事項だった雪道は無難に済んで良かった。

意外と市街地は雪積もらないのね。

山は予想以上に大雪で不安もあったが、結果、トラブル無く行けれたので、その不安も楽しい思い出になった。

 

いろいろと雪道に備えて臨んだ旅行でしたが、まずは一段落というところです。

→ 大雪の山道を2WDで行く備え!タイヤチェーン装着練習とその他アイテム備え

あとは明日の帰りの道中、安全に帰れればこの旅行は完璧に成功したと言えるかな。

 

もう一つの不安事項は僕の腰。

今日のところはヘルニアがぶり返すことはなかったが、問題は明日。

明日のスキー・スノボでどうなるか未知数。

→ 腰椎椎間板ヘルニア戦記2022-⑧ 接骨院変更!保険適用外の施術で回復!

 

すべて無事に、五体満足で家に帰れることを願う。

 

つづき

→ 戸隠スキー場は本当に超パウダースノーだった穴場的ゲレンデ&ロッジレビュー